夏の記憶
公開日時 2011/08/09 04:00
1年前に転職したKさんは、面倒をみてきた後輩に最後に言った言葉が気になっていた。
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わずか1年前のことなのに、Kさん(33歳)は転職活動をした去年の夏の記憶に、はっきりしないところがある。
面接を受けた居心地の悪い応接室、空港でゲンをかついで食べたカツ丼、伝言メッセージに残っていた不採用の通知、自宅への帰り道に見た頭をたれた夜のヒマワリ、内定をもらった時の染みるような喜び…、場面場面は鮮明に頭に残っているのだが、そのあいだの出来事や前後関係となると、思い出せないことが多いのだ。
Kさんは、現職A社の仕事で各地をまわりながら、同時に転職活動を行っていた。自分のキャリアをやや過信していたKさんは、思いがけず転職がうまくいかないことで、身も心もくたくたになっていた。気が立って、周囲に当たることが多くなり、それは内定をもらった後もしばらく続いていた。
A社から執拗な引き留めを受けたKさんは、会社のなかでは周りが全て敵という感覚になっていて、ずっと目を掛けてきた後輩Oさん(28歳)から「辞めないで欲しい」と言われた時も、「どうせ上の誰かに言われて、引き留めにきたのだろう」と邪推してしまい、素直に受け取ることが出来なかった。
「もう決まったことなんだから、グダグダ言わないでくれ」
「分かりますけど、事前に一言いってくれても良かったじゃないですか。信頼していたのに、裏切られた気分です」
必死なOさんの顔を見て、Kさんは笑った。
「自分よりキャリアの浅い後輩のお前に、相談なんてできるわけないだろ?」
最後まで引き留めにやっきだったA社では、送別会が行われることもなく、KさんがOさんと二人きりで話をしたのは、それが最後となった。後味の悪い退職だった。
3ヶ月後、Kさんは後輩OさんもA社を辞めたことを知った。行き先を誰にも告げずに会社を去ったという。
「あの時に引き留めにきたのは、本心からだったんだろうな…」
急にKさんの気持ちに罪悪感が芽生えた。自分が、なにか他にもひどいことを言ったかも知れないということも考えた。それのせいで自分が一番大切にしていた後輩が仕事を辞めたとしたら…。
Oさんの所在の心当たりをいくつかあたってみたが、行方はなかなか掴めなかった。Kさんは、我々のところにもメールをしてきた。
「転職エージェントが個人情報を出さないということは分かっています。ですから、もしA社に勤務していたOという男の連絡先をご存じでしたら、私が探していると伝えてもらえませんか?」
事情は理解したが、情報を伝えることは出来ないし、そもそも我々のところにOさんの登録情報はなかった。
KさんがOさんと再会したのは、まったくの偶然だった。新しい会社で取引先に行く途中、エレベ−ターフロアでOさんの姿をみかけたKさんは、走って彼に近寄り、「おい」と声を掛けた。その後、言葉が続かないKさんに、Oさんは軽く頭を下げた。
「先輩、ご無沙汰しています」
ほんの五分ほどの立ち話だったが、KさんはそこでOさんと言葉を交わすことが出来た。
「会社、辞めたんだってな。どうして?」
「ハハハ。先輩こそ、どうしてって感じじゃないですか。社内での評価も高かったのに」
「俺が辞めたからか?いろいろ言ったから?」
「そうですね。最後にこれからは自分で道を切り開けって言われて、自分なりに考えて転職しようと思ったんです」
「道を切り開け?最後に話したのは、たしか談話室のところで…」
「いやいや、最後の日にもらったメールのことですよ。覚えてないんですか?」
正直、何も覚えていなかった。だが、とにもかくにも、自分が最後に後輩に気づかいを見せていたことで、ホッと胸をなでおろしたのは事実だった。二人は新しい名刺を交換し、その場を離れた。
「人間の記憶なんて、アテにならないものだな」
Kさんはそう苦笑いをしていたが、いま見た、新天地でやる気に燃える後輩の精悍な顔つきは、きっとずっと忘れないだろうとも思っていた。
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