連載「22年の焦点」の第2回は、城克文元経済課長(現・日本医療研究開発機構(AMED)理事)に「新薬の価値と医療保険制度」をテーマに語っていただいた。城氏は、「高薬価のみに着目した薬剤費の議論があることは気になっている」と指摘したうえで、「新薬の上市で、完治や延命など、これまで実現できなかったことができるようになるのであれば、高くても払う、という負担の議論をしてもいいのではないか」との見解を表明した。一方で、「製薬業界の一部から、薬剤費だけを削減するのではなく、技術料も抑制すべきだ」との声を聞くと述べ、「そのような発想ではなく、もっと社会に貢献する方向の議論をする必要があるのではないか」と提案した(望月英梨)。
本連載は、Monthlyミクス2月号(2月1日発行予定)に全文を掲載します。
◎完治や延命など前提に「いいものには(薬価を)高く払おう、という負担の議論をしてもいい」
-イノベーションの推進と国民皆保険との両立の観点から、新薬を取り巻く環境についてのお考えをお聞かせください。
城氏:個別化医療が進展するなかで、患者数が少なく効果の高い新薬が数多く登場している。このため、高薬価の品目の収載も相次いでおり、様々な意見がある。もう一歩先を行って、薬剤費総額へのインパクトを考えた方がいいのではないか、と感じている。
医療保険制度の基本的な考え方は実費償還であり、薬価収載の基本は置換需要だ。薬価算定ルールでも、類似薬効比較方式は置換需要の考え方で1日薬価合わせや1クール薬価合わせなどのルールが導入されており、患者数が一定である以上、新薬が登場してもそれだけでは薬剤費は伸びない仕組みとなっている。もちろん、技術革新分は加算で評価することとなっているためその伸びは発生する。オンコロジー領域や難病など、これまで治療選択肢のなかった新薬や、完治が見込めるような医薬品などが上市されると、前提が少し崩れてくる。ただ、基本的に置換式であり医療費の積算がトレンド延伸であれば、個々の品目の新薬上市薬価のインパクトをそこまで深刻に考える必要はなかったはずだが、ときおり高薬価のみに着目した議論があることは気になっている。
画期的新薬の場合、そもそもターゲットのレンジが狭く、患者数が極めて少ないことも多い。新薬の上市で新たな治療手段の提供、完治や延命など、これまで実現できなかったことができるようになるのであれば、高くても相応の代金をしっかり払って買う、そのための負担の議論をしてもいいのではないか。もともと現役世代が自らの治療水準が上がることへの相応の負担に反対という構図ではなかったような気がするが。
患者負担を増やしてはいけないというのはその通りだが、医療費に対して社会としていくら払うか、というところは現行水準を所与として議論されている。医療費のために我々、社会はどれくらい割けるのか、そのうちしっかりと議論してもよいのではないか。医療保険制度において国費が一定比率になっていることが議論を難しくしている側面もあるが、フランスの一般社会拠出金などの例もあることから、国費が入らない形も含めてブレインストーミングはしておいてよいと思う。
日本では最高水準の医療が受けられるが、医療は単なる再配分ではなく原価のあるサービスの購入であるため、医療費を相応の水準以上に抑制してしまうとその差分のマイナスが必ずどこかに寄せられてしまう。それが負担のしわ寄せか余剰のカットなのかは議論のあるところかもしれないが、瞬間的に医療従事者に我慢や献身を強いたり、製薬企業の取り分を削ったりして凌ぐことはできても、いずれにせよ払える範囲でしか医療は受けられない。米国のように個人単位・企業単位で払える範囲という国もあれば、保険者単位、地域単位の場合もある。日本はそれを国単位で設計しているだけで、いずれにせよ払える以上の医療サービスが購入できないことに変わりはないのだが、国内で回りを見ても公平で比較対象がないせいかあまり関心がないのだと思う。いずれにせよ、我々はいくらまで医療サービスの購入代金を支払うつもりなのか、という設定が重要になる。
2008年以降、社会保障国民会議ではそうした議論をし、社会保障に必要な水準に基づき、消費増税もあった。全世代型社会保障では、高齢者の負担を引き上げ、世代間格差を減らすことが決まった。しかし、拠出面では現状ベースであり、増減の話にはなっていない。
医療保険制度では、医療サービスや薬価など、実際に社会活動があるものに対して価格をつけ、量に応じて購入している。その支払額を下げる方法にはいくつかのパターンがある。ひとつは、支払基金の査定のような、すでに受け取ったサービスについて事前の購入契約に違反する部分について支払わないというものだ。これはすでに提供したサービス分だけ医療機関がコスト割れになるため厳密な手続になる。もう一つは、薬価や診療報酬点数の引下げなど、同じ商品で事前契約の単価を引き下げることだ。これは契約の範囲内だが提供側で工夫してコスト圧縮をしておかないと、原価割れが起きる。最後に、ジェネリックのように、安い代替品で費用を引き下げる方法だ。これは家電なら劣化版でもいいが、医療である以上品質的には同等品でないと本末転倒になる。
医療費増抑制の議論でもいまのところ、質を下げてまで安くするという発想はなさそうだが、逆に医療費総額が高くなってでも良いサービスを購入すべきだ、という議論も見当たらない。単なる支出ベースではなく、サービス見合いでの議論もまたそのうち必要になるのではないか。
製薬業界の一部からは、「薬剤費だけを削減するのではなく、技術料も抑制すべきだ」との声を聞く。技術革新などで手術が投薬に置き換わりコストが下がるなどの余地はあるかもしれないが、働き方改革で、医師の時間外労働上限規制が救急の現場でも導入されるようななかで、医療提供体制を変えずに人件費を削減するという議論が起きるわけがない。薬剤費ではなく本体技術料で、というような逃げの発想・押し付け合いの発想ではなく、これからの技術革新により医療が提供するであろう価値に見合った対価を求める、という構造など、社会全体へのメリットを提示する大きな視点での主張をする必要があるのではないか。
◎薬剤費総額のマクロ経済スライド導入「現実的には不可能だ」
-財務省の財政制度等審議会財政制度等分科会は、21年12月に取りまとめた建議に、「薬剤給付費の伸び率を過去の実績を反映した堅実な経済成長率の見通し等のマクロ指標に連動させる薬剤費総額のマクロ経済スライドを導入し、PDCA サイクルを回すことも十分考慮に値する」と盛り込んだ。薬剤費のマクロ経済スライドについてどう考えますか?
城氏:財務省は、社会保障関係費の伸びを高齢化の範囲内に抑制するとしているので、その枠組みでさらに医療費の中で薬剤費と技術料との配分を変えるだけだとしたら意味がないのではないか。現行のやりくりでは、薬剤費を高齢化の伸び分よりもさらに下げることで、医療費全体の伸びを抑え、社会保障関係費を高齢化の範囲内に収めている。それを、技術料の伸びと切り分けて薬剤費を経済成長率にするのだとすれば、内容的に切れない部分しかなく、現実的には不可能だ。
そもそも、経済成長率の伸びは、一定の前提を置いた場合の見込みの一つに過ぎない。なので、実際制度に導入した場合は、後から答え合わせをしないといけない。しかし、答が違った場合に後から辻褄を合わせる仕組みがないから難しい。高齢化の伸びの範囲内は金額として明確に分かり、実際に医療費もその枠組みのなかで収まってきた。しかし、経済成長率の場合では、例えば1%と仮定して制度設計をすることはできるが、実際には1%も伸びなかったという場合にどうするか、という答え合わせができない。実際に経済が見込んだほど成長しなかった場合は、翌年、伸ばしすぎた部分の修正に加え、一年間取り過ぎた金額を返すため、その年は薬価を二重に引き下げることになる。逆に経済が成長した場合は、そこに見合うまで薬価を引き上げる、となる。個人的にはこだわりはないが、日本の現在の薬価制度の根幹だと広く信じられている市場実勢価格主義とは完全に乖離しており、仕組みとして落とし込むときにうまくいかない。
しかも、調整が必要になる場合には、新薬ではなく、長期収載品とジェネリックを引き下げる、という話になる。最初に医薬品を安定供給する企業の重要性は説明した。医療用医薬品市場を数量ベースで見れば、相当数を特許切れの製品が占めているのが現状だ。新薬だけでは医療は成り立たない。
◎調整幅「へき地に配送する地域卸の役割と機能を維持できるような仕組みを」
-2022年の薬価制度改革議論では、調整幅が議論になることが想定される。
城氏:現在の調整幅2%は、政治的決着で決まった数字で、そこまで低い率の根拠は過去の経緯しかない。適正な調整幅は何%かという議論のなかで、経緯しかなければ必要ないのではという意見もあるが、必要ないというわけではない。元々想定された適正幅はもっと上だった。調整幅を削り込むと、流通にしわ寄せがいく。調整幅が誰のものかという議論は別として、結果的に流通が吸収することになる。メーカーが仕切価を下げるか、医薬品卸が赤字でも配送するのか、医療機関や薬局が交渉で妥協して吸収するのか、それとも医薬品卸と医療機関・薬局との交渉が打ち切られ、医薬品が医療現場に届かなくなるのか。
これまで、こうした流通の赤字は、医薬品卸が製薬企業に泣きついて何とかなってきた。この体質は何とかしないといけない。本来のあり方として、医薬品卸が価格を仕切価以下に下げても川上は付き合わない、となると、初年度はともかく一度赤字決算を打てば翌年度からは現場が堅くなるので、その後は市場実勢価格は下がらない。そうなると、今度は医療機関・薬局側にしわ寄せがいく。
値引幅が大きいのは大手全国卸と大手調剤や公立医療機関等との交渉などだが、実際に山間へき地や離島に医薬品を配送しているのはほとんど地域卸だ。地域医療機能推進機構(JCHO)の談合で問題になった四大卸は、地方にも展開しているが、カバーしているのは利便性のよい都市部中心だ。医療用医薬品流通業がその存在価値を主張するのであれば、小口で遠いためにコスト高で売上が伸びない山間へき地に実際に医薬品を届ける地域卸がその役割と機能を維持できるような仕組みが必要だ。90%バルクライン方式当時の発想に立ち戻れば、本来そのための調整幅だったのではないか。加重平均値ベースの計算式に変更になり、大都市圏でクリームスキミングのようなプレーヤーが利幅を食いつぶして全体にプレスをかけ、本来業界として最も重視しなければならない全国津々浦々への配送を担う主体が割を食うような今の仕組みはあまり良くない。
◎地域別の薬価「あっても別に良いのでは」 流通コストや取引条件踏まえた考慮を
-地域別のマージンの設定などの考えでしょうか?
城氏:地域別の薬価はあっても、別に良いのではないか。というか、昔はそうだったはずだ。同じ飲料でも、富士山の五合目と都内のスーパーで値段は違う。本来価格とはそういうものだ。なぜ、配送条件が違うのに売値が全国一律でないとならないのか。制度発足当初は、いわゆる蔵出し価格が薬価調査価格であり、配送条件を踏まえて類型化してコストをそこに乗せ、地域により異なる薬価だったし、材料などはそもそも都道府県単位で価格を設定していた。
もちろん社会保障だからこそ全国どこでも医薬品は同じ価格であるべきというドグマはあってもいいと思う。しかし、そうであるならばその穴埋め調整の仕組みも制度的に用意すべき課題ではないか。いまは、この調整を結果的に医薬品卸が行い、それぞれのコストカットで吸収しているが、もちろん事業者間の調整などはないのでさっきのクリームスキミングと地場へのしわ寄せが生じている。本来は流通コストや取引条件が場所によって異なる以上、それぞれに応じて違う価格で償還すればいいという話になるが、これまでの社会保障の歴史は価格を揃え負担水準を全国共通にするための先人の努力の歴史なのでそこは何とも言えない。しかし、薬価は経済取引を踏まえた商品の価格なのだから、市場に合わせて、例えば3本の水準があるということがあってもいいと思うし、逆に価格を統一してその差分を技術料で調整してもいいとも思う。
◎調整幅が何を保証してきたか検証・説明すべき
-医療用医薬品の流通改善に関する懇談会(流改懇)では、製薬業界側はカテゴリーの影響を主張していた。
城氏:交渉実態が違うのであればそれに合わせればいいとう考えもある。何をもってカテゴリー別に調整幅を変えるのか、その根拠が必要だ。薬価の違いは、流通コストも含めた原価の違いであるべきだ。流通の実態として、同じ数量の取引をしても、1か所にまとめて大量に配送するのと、10か所、20か所にバラバラと小口配送させられるのとではまるで違う。全部電子発注してくれるのと紙発注電話発注と電子発注が混在するのとでも二桁違うコストがかかる。
たぶん、現行の調整幅は実態として流通コストの地域差を吸収しているし、他に流通コスト差を吸収する仕組みは存在しない。これをやめるのであればどうするか。制度上の役割が明記されていないから単純廃止でよい、というのは机上の世界に暮らしている人の話であり、経済実態から目を逸らして誰かに負担を押し付ける話だ。それならいっそ平均ではなく個々の取引に個別に合わせた価格に徹底したほうがいい。
歴史的に見れば、90%バルクライン方式や81%修正バルクライン方式は、制度的に全国の流通コストの違いを吸収する狙いがあった。緩い仕組みだったせいでかなり悪用もされ、その解決策として加重平均値一定価格幅方式が導入されたが、その段階で大きな思想哲学の転換があり、全国津々浦々の大病院から小規模クリニックまで医薬品が届くよう流通条件や取引条件の違いによるコスト差を制度的にカバーしようという考え方がなくなった。
その後改定のたびにR幅が縮小され、2000年度から、加重平均値調整幅方式として調整幅2%となった。とはいえ、制度の狙いに書かれなくなったからといってそれで実体経済でも消えてなくなるわけではないので、もし調整幅を廃止するのであれば、それに変わるものは必要だ。お題目がどうだったかの過去の書類の振り返りではなく、調整幅が現実にどういう主体のどのような機能を維持してきたかということを検証・説明し、本来ならどういう仕組みが必要だったのか、を主張し、廃止するならその代替策の創設を提案することが必要ではないか。
※編集部注)見出しの「与件」とは・・・推論や研究の出発点として、与えられた条件を指します。