エージェントに信頼し、何でも話をしてくれるSさん。しかし、彼が送ってくるメールには美辞麗句の建前が並んでいるばかりだった。

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話した言葉は消えるが、書いた言葉はいつまでも残る。メールでもログでも、いったん記録された言葉はいつまでもデータとして残り、簡単に検索抽出、コピー・引用されてしまう。そのため、慎重な人は、ちょっとしたメールを書くときでも、「誰の目に触れるかわからない」という意識をもって、キーボードを叩いているわけだが…。

メディカル専門職Sさん（33歳）は、当初本当の転職理由を我々に明かしてくれなかった。それも致し方ない。Sさんは、離婚を理由に転職を決意していたのだ。

自分が泥沼の離婚裁判中だと明かすのは、あまり気の進むことではないし、キャリアとは無関係なプライベートな事柄なのだから、我々に言う必要もない。Sさんが、出来ればそれを秘密にしたまま転職を決めてしまいたいと思ったのは当然のことだろう。しかし、本当の理由を知らされないままとなると、どうしても求人紹介はしっくりいかなくなる。

現在の住所から通いやすい会社を紹介すると「いえ、勤務地は多少遠くても…」と言うし、二人の小さいお子さんの写真を手帖に忍ばせているのをみて、比較的残業の少ないところがいいのかと気を利かせてみると、「いえ、むしろしっかり働いて稼がないと…」という話が返ってくる。
Sさんの方でもこのままでは、やりにくいと感じたようで、しばらくして「ここだけの話」と前置きをつけて、離婚の件を話してくれたのだった。

一番言いにくいことを言ってしまってタガがはずれたのか、それ以降のSさんは、担当エージェントに自分の思っていることをあからさまに語ってくれるようになっていった。

面接がはじまると、彼のぶっちゃけぶりはどんどん加速していった。
「あの会社、事業は先進的なのに、オフィスがやたら地味なんですよ。昭和の香りが充満しているというか。正直、どうなんだろうって感じです」
「昨日の面接、受付の女性がすごい美人でビックリしました。いやいや、声かけたりしませんよ。なにせ離婚訴訟中の身ですから、うかつなことは出来ません」
なんて本音がポンポン出てくるのである。

一方、彼から届くメールはというと、最初に相談を受けた頃と同じ、あたりさわりのない丁重なものばかりだった。特に、企業に対する意欲については、判で押したように「とても良い印象を持っています。第一希望のなかのひとつ。ぜひ、次のステップに進みたいと考えています」とポジティブな文面が並んでいた。
しかし、電話で話してみると、実際は「先方が会いたいなら、もう一度面接にいってもいいかも」とか、「悪くないくらいですかね。正直、前の会社には劣るかなあ」など、かなり温度差があった。

その点をSさんにつっこんでみると、こんな返事が…
「メールの内容は企業担当の方も見るでしょうし、場合によっては先方の人事の目に触れる可能性もあると思ったんです。話したことなら勘違いですとか訂正も効きますけど、書いちゃったものは簡単に取り消せないですから、取りあえず無難な内容にしておかないと。離婚裁判で得た教訓ですよ（笑）」

なるほど、今の時代の処世術としては、書き言葉には細心の注意を払うべきなのかもしれない。我々は、彼の本音はちゃんと抑えてあるのだからと、Sさんの方法を是認していたのだった。

ところがSさんにとっての滑り止め企業A社の面接日、担当エージェントが私用で急に休みをいただくことになってしまった。
Sさんはいつものように面接の感想をメールで連絡してくれたのだが、A社はSさんに好印象を持ち、最終面接を待たず内定を決め、「彼が入社してくれるかどうか、早急に確認してほしい」と我々に伝えてきたのだった。
当然、すぐに連絡をとろうと試みたが、折り悪く、Sさんの携帯になかなかつながらない。そこで、メールで届いた面接の感想を見て、「非常に前向きな様子。本人と直接話が出来ていないが、入社の可能性は高い」と返事をしてしまったのだ。

Sさんを責めるつもりは毛頭無い。我々が、Sさんのやりかたなり意志なりを共有出来ていなかったことが問題なのであって、誤った情報が流れたことについては、A社・Sさんに双方に謝罪をしなくてはならないものと考えている。
ただ、この一件で、思わず唸ってしまう部分があるのは分かってもらえるだろう。簡単に検索抽出でき、劣化せずに大量の記録をとっておけるデジタルデータの便利さは、誰もが日頃から感じている。しかし、その便利さ故に、血の通わない建前ばかりが並び、真実の情報が薄まっているとしたら…、こんな皮肉なことはない。