転職以降、何度も我々を頼ってくるNさん。しかし、彼女は転職しようというわけではなかった。

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長くこの仕事をしていると、ひとりの転職者の方と何度もおつきあいさせていただくことがある。

例えば、転職する度にキャリアを積んで、活躍のステージを大きくしていく方だ。自分の手柄でもないのに、つい誇らしく思えてしまう。
また、転職した企業でうまくいかず、再び転職のために我々のところに戻ってきて下さる方もある。こういうときは「次こそキャリアを積める企業を」と我々も気合いが入る。

さて、それ以外で長いおつきあいとなると…。

秘書職Nさん（28歳）が最初に我々のところにいらしたのは、3年以上前のことだ。堅苦しい会社はあわないと、老舗メーカーから成長企業A社へ転職。しかし、その後すぐ、我々に彼女から苦情があった。

「面接のときと話が違うんです。経験のない仕事を急にやれって言われて」
Nさんは気色ばんでいたが、A社は採用時、状況に応じて様々な仕事を請け負ってもらうと言っており、求人票にもそう書かれてあった。
「たしかに未経験の仕事をこなすのは大変だと思いますが、きっとA社は、Nさんなら専門的なことも勉強すればすぐに出来ると思ったんじゃないですか？それだけ、能力を高くかっているということだと思いますよ」
「あぁ…。そういうことなら、頑張ってみてもいいですけどぉ…」

こうして、取りあえずNさんに納得してもらったのだが、半年後、彼女からまたメールがあった。
「A社には、本当に呆れました！」
半年間で二度目の相談。今度は本気で転職を考えていそうだと感じ、我々は彼女の訪問を受けた。
「A社にはルールってものがないんです。書類を作るにも書式はなし、規則を決めようにも、決める段取りがこれまた何も決まってない。どうしようもないですよ」
「なるほど、上場企業で働いていたNさんには気になりますよね」
「気になるなんてもんじゃ…。あんまり酷いから、私が『こうしたら』って言うと、『じゃあ、君がルールを作ってよ』って。なんで私が！」
「しかし、そういう業務はキャリアになりますよ。チャンスと思って挑戦してみては？」
「こんなことで、キャリアになるんですか？」
「社内規定の企画は、総務の仕事のなかでも重要な仕事のひとつですからね」
「そっかぁ…」

やはりそれから約半年後、今度のメールには「社長の横暴がひどすぎ」とある。すぐ電話をかけて…「なにがあったんですか？」と、聞くと
「社長、私には優しいのに、他の社員への当たりが厳しすぎるんです。みんな、すごく頑張っているのに。何も知らないで、すぐに怒るんですよね」
「え？ご自身のことじゃないんですか？まあしかし、会社の雰囲気が悪くてもう辞めたいというなら、転職先を探しますけど」
「転職？そんなつもりじゃありませんッ！」
「え？転職の相談じゃないんですか？」
「はぁ、それでは、社長秘書として、みんなの様子をそれとなく社長の耳に入れてみては？社長とスタッフのパイプ役となるのも、秘書の隠れた仕事だと思いますよ」
「う〜ん、そうですかぁ。じゃあ、やってみます」

こんな調子で、NさんはA社で問題が起きると、我々のところに連絡をしてきた。ときには、ただの愚痴の聞き役にさせられることも…。転職の仲人役としては仕方がないのかと思い相手を務めてきたのだが、ここ一年は彼女からの連絡が途絶えていた。

今年の夏、久々にメールがあり、Nさんは「次のステップへ」と転職活動を始め、いくつかの企業で面接となった。3年前に比べて、Nさんには大人の落ち着きが身についていたが、彼女の台詞は、ある意味以前と同じだった。
「どの会社をみても、そこで働いている自分が想像出来ませんでした。面接官からA社の不満を聞かれると、『そんなもの無いのに』って妙に腹がたったりして。結局、私はA社が好きなんですね」

転職は、しばしば結婚に喩えられるが、結局我々は新婚Nさんの、のろけ話に付き合わされていただけだったらしい。