ニューヨーカー現る
公開日時 2012/05/23 15:00
ニューヨーク帰りのSさんは、派手な言動で応募先の企業を驚かせていたのだが…。
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世界的アーティスト、レディー・ガガが来日公演をおこない、10万人以上の観客を集めた。ずば抜けた歌唱力と過激なライブパフォーマンスで注目を集める彼女だが、前時代のミュージシャンがスキャンダラスであることをウリにしたのとは対照的に、その素顔は、とても真面目で礼儀正しい女性だという。
親日家であることもよく知られており、震災に対するコメントは、単なる社交辞令をこえた、心のこもったものだった。日本人の一人としてとして、たいへん有り難いと感じるところだが、真摯な人柄と奇抜な服装のギャップに慣れるのはなかなかたいへんだ。彼女を見ていると、自己表現に対する日米の意識の差は、実に大きいものだと痛感させられる。
転職相談の初対面でギョッとするという経験は、そう多くはないものだが、Sさん(33歳)が待つブースに入ったときの我々は、思わず後ずさりしそうになってしまった。
彼が身につけていたのは、目が覚めるような赤紫のシャツに、プリント柄の入ったジャケットスーツ、縁に銀ラメの入ったファンシーな眼鏡をかけ、靴の先端は凶器のようにとがっていた。
「ニューヨークから戻って、まだ時差ぼけがなおらなくて大変です。アハハハ」
そう軽やかに語るSさんに、我々は内心を隠しつつ愛想笑いを浮かべたのだった。
家族の事情で日本に戻ってきたSさん。彼の主なキャリアは出版・広告関連の企画職で、なかばクリエイティブに足をいれているものだった。加えて、ニューヨーク在住5年というのだから、アーティスティックな外見も、ある程度納得はできたのだが、さすがにこのまま面接となると、心もとない。
「あ、あのぉ、Sさん、面接に行かれる時の服装ですが…」
それを聞くと、Sさんは分かっていますよというふうに頷いたのだが、言うことは
「この仕事はファッションもアピールのひとつですから大丈夫です。それに、そもそも鼠色のスーツなんて持っていません」と、あっけらかんとしているのだった。
服装にとどまらず、Sさんは発言でもアメリカ流に染まっていた。彼の自画自賛ぶりは凄まじく、
「私には、御社を業界でもっとも注目される存在へと変える能力がありますし、また、その準備もできています」
「私の特徴はスキルが高いこと。そして競争力があり、働きぶりも優れています」
といった台詞がポンポン飛び出してくるのである。これにキャリアがマッチしていればいいのだが、正直なところ、これと言う実績を持っているわけではなかった。
面接になった企業での彼の評価はいまひとつ。
「海外ではああいうアピールの仕方は普通なんだけれど、日本語でやられると、どうも間が抜けてしまうねえ」
外資系企業にもこう言われてしまい、唯一、流通販売A社でのみ選考が先に進んでいた。
だが、やりとりする回数が増えるにつれ、我々のSさんに対する印象は大きく変わっていった。彼の素顔は、律儀で折り目正しい日本人そのもの。彼が海外でやってこれたのは、その気配りのおかげだったことが見えてきたのだ。
我々に対してでさえ、日程調整がすむたびに担当エージェントだけでなく、アシスタントにも毎回お礼の連絡をくれる。一度言っただけで、我々のスケジュールを覚えてくれており、「月曜午後はミーティングがあると仰っていたので…」と、時間を考えて連絡をくれたり、平日に休みをとった次の日は「お加減はいかがですか?」と、さりげなくメールに一文添えられていたり…。
A社がこうしたSさんの人柄に目をむけてくれて、面接を5回もした上で採用に踏み切ってくれたのは、たいへんな僥倖であった。
しばらくして、我々がA社に出向いた際、Sさんがエレーベーターに乗り込むところを見掛けたのだが、その服装は、周りに溶け込み目立たないものになっていた。
「Sさん、だいぶ丸くなったようですね」
と、一緒にいたA社の人事スタッフに話を振ると
「いやいや、今でも時々『勝負服』と言って、すごいのを着てくるんですよ。アレさえなければって、みんな冗談で言っているんですけどね」
とのこと。ニューヨークでも芯は日本人であり続けたSさん、日本に戻ってもニーューヨーカーであった自分を忘れないというのも、また頷ける話なのであった。
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