「成長のスピードに品質管理体制、人財育成および教育のスピードが対応できていなかった」―。富山県から医薬品医療機器等法(薬機法)に基づく行政処分を受けた日医工の田村友一代表取締役社長は3月3日、オンライン会見で謝罪した。同社の看板とも言える富山第一工場で承認書と異なる製造方法で製造し、適合品となるように処理していた。品質試験で一度不適合となった品目を粉砕し、再度錠剤化するなど、明らかなGMP違反と呼べる実態まで明らかになった。国が後発品使用促進策を掲げるなかで、ジェネリックのトップメーカーである同社が利益追求に走った責任は重い。急激な成長を遂げるなかで、「品質保証、量的供給、安定供給という3点について優先順位のバランスが崩れてしまった」と述べた田村社長自身の発言に、この問題の深部が凝縮されていることを垣間見た。(望月英梨)
日医工はこの日、富山県から富山第一工場が32日間の業務停止命令を受けた。同社も適切な製造管理・品質管理を行う管理監督を怠ったとして、医薬品製造販売業として24日間の業務停止処分を受けた(
関連記事)。
◎75製品を自主回収
2020年2月にPMDAと富山県が富山県の第一工場へ立ち入り調査を行ったことで、問題は発覚する。「私自身をはじめ、経営陣は初めて製造工程の一部に問題があったことを認識した」と田村社長は会見で説明した。その後、自社で総点検を実施するとともに、外部法律事務所などで調査を実施。社内でも社長直轄組織としてGMP監査室を立ち上げるなど原因究明に努めてきた。その結果、2020年4月から21年1月中旬にかけて75製品にのぼる自主回収を実施するに至っている。
◎規格外ロットを粉砕 再度錠剤にする再加工処理も
調査で明らかになったのは、品質試験で基準から外れたロットに対して、粉砕して再度錠剤にする再加工処理を行うなど、不適切な措置を行い、適合品として市場に出荷していた事実だ。品質試験に合格しなければ出荷ができないために、“救済措置”を不適切に行ったという。こうした措置は、遅くとも2011年頃から行われていた。粉砕して再度錠剤にしたり、錠剤を乾燥したりする再加工処理を施した5製品を含む、48製品が該当していた。
このほか、不適合となった試験結果を棄却し、再試験を実施して適合となった製品(35製品)や、承認規格には適合しているものの、より厳しい社内規格に適合していない製品、出荷試験のうち定量試験で不適合となったカプセルのロットについてウエイトチェッカーで良品選別を行った後、選別後のロットについて定量試験/溶出試験を行わず、選別前の定量試験の数値を用いていた―ことが発覚した。
◎“逸脱会議”で救済方法を検討 医薬品製造管理者が主導
これらの措置は当時、“逸脱会議”と称される会議で検討されていた。医薬品製造管理者(当時)が「逸脱管理責任者」を務め、手順書に従って会議を招集していたという。この会議は、遅くとも2011年頃から開かれていた。調査報告書では、「当時の工場長/生産本部長の明示または黙示の指示を受け、医薬品製造管理者兼逸脱管理責任者(当時)が特に廃棄による影響が大きいものについて、回避するために逸脱会議の場で主導的に行っていた」と指摘している。田村社長は、「営業経験者でもあった富山第一工場に常駐していた担当取締役が長らく生産部門のトップを務めてきた。欠品、回収は、営業部門への負担が大きいため、生産部門としては担当者への配慮も含め、欠品、回収の回避を優先する風土が徐々に醸成されていた」ことをこの日の会見で明らかにしている。
国が後発品の使用促進策にアクセルを踏み、ジェネリック各社が増産に注力した2014年から16年頃にかけて、こうした不正は横行していった。富山第一工場でも生産数量・品目数が増加するなかで、「人員、設備が整っておらず、製造部、品質管理部のいずれもひっ迫した製造スケジュール、試験スケジュールのなかでその業務に追われ、これに伴いOOS(品質試験で規格外の試験結果が出ること)の発生件数も増加していった」と調査報告書では指摘している。
特に増産が求められた2015~16年については、明らかなGMP違反である、再度錠剤にするなどの再加工処理も多く行われていた。医薬品製造管理者(当時)はGMP違反を認識しながら、原薬や重要な添加剤の追加を行うような品質に問題が生じる再加工は行わないなどの一定の許容ラインを自身のなかで設けていたという。このほかの処理については品質に問題がないことなどから、「GMP上問題ないと考えられていた」。
一方で、こうした措置を主導していた医薬品製造管理責任者が異動した2017年4月以降、工場長や生産本部長が不適正な救済措置を指示することはなくなったという。ただし、それ以前の運用が定着しており、不正は継続されていった。
◎試験数に対し人的・物的設備が不足「必要な試験がすべては実施できない状態」
安定性試験・安定性モニタリング試験についても2009年以降、実施していなかったり、不適合だったにもかかわらず対応していなかったりした品目があり、27製品の回収に至った。
調査報告書では、生産品目や包装形態が多く、試験数に対して人的・物的設備が不足していたために、「必要な試験がすべては実施できない状態」であったことを指摘する。このため、品質管理部で優先順位の高い試験をリスト化し、これらについて試験を実施するという実務運用が定着していたという。安定性試験などは、出荷試験よりも後回しにされ、結果として安定性試験を実施していない品目が数多く出てしまった。一部試験が実施されていないことについては、品質管理部以外の管理職が参加する会議でも情報共有され、さらに2019年3月期の内部監査の結果でも指摘されていたが、改善には至らなかった。
◎島崎信頼性保証本部長 自社工場だからこその思い込みで「管理監督責任果たせず」
今回の問題について製造販売業者としての管理責任について、
と同社の島崎博・信頼性保証本部長は反省を口にした。同社は、他社の工場を買収するなどして増産体制を整えてきたが、問題の起きた富山第一工場はまさに、同社の看板とも言える工場だ。島崎本部長は、「自社工場については、何か問題があれば言ってくるだろうという、勝手な思い込みもあり、他社工場に比べ、管理監督という役割は十分機能していなかった。監督しなかったことが富山第一工場のやってはいけなかったことを継続させた原因となっていた。改めてお詫びする」と述べた。
そのうえで、原因については、「富山第一工場におけるGMP遵守に対する認識の甘さにあると反省しているところだ。富山第一工場において製品の廃棄を回避するために、最終的に承認規格に適合すれば出荷してもいいという薬機法やGMPを軽視した判断がなされていたことは、当社として最も反省しなければならないことと考えている」と述べた。
◎医薬品製造管理者に十分な権限が与えられず 詳細な手順書存在せず
問題の根幹としては、手順書に詳細な記載がなかったことをあげ、「作業担当者のレベルや捉え方で作業が変わってしまうような曖昧さが残っており、マニュアルとしては不完全な状態だった」と述べた。このため、同社ではOOSの管理手順や逸脱処理手順を刷新し、誰が読んでも同じ作用になるよう改めた。
もう一つの課題がガバナンスだ。島崎本部長は、「工場における製造、品質管理の責任者であるはずの富山第一工場の医薬品製造管理者に十分な権限が与えられず、OOS発生時の製品廃棄の権限が与えられていなかったがゆえに、不適切な救済措置に走ってしまっていたといった事情も、手順や既定の不備、不十分さから生じていた状況だと言わざるを得ない」と述べた。このため、昨年4月に、医薬品製造管理者の地位を高め、工場長と同等にするなどの対策を取っているという。また、昨年7月には総括製造販売責任者(総責)を変更した。信頼性保証本部との連携の下で、製造販売業者として各製造所の監査を徹底するなど取り組みを進めている。
このほか、製造方法や承認規格が製造現場の実態に即していないケースがあるとの見方も示し、「時間のかかる問題だが、製造現場における製造技術レベルの向上とともに解決に取り組んでいくべき課題だ」との認識も示した。
◎ジェネリックトップメーカーとしての責務を果たす
一方で、今回の処分では、すでに日医工が自主的に改善に取り組んでいることから、富山県は業務改善命令は出なかった。ただ、ジェネリック最大手企業である同社が起こした問題だけに医療現場などへの波紋も大拡がっている。
田村社長は、「まずは私共がこの問題を真摯に受け止め、改善に向け、取り組み、改めて日医工のジェネリックが安心と信頼に基づく医薬品であるということを示すことが、我々にできる最善のジェネリックに対する信頼回復ではないかと思う」と述べた。
ジェネリックが医療現場で信頼を勝ち得るまで、これまで長い道のりがあった。一方で信頼を失うのは一瞬のことでもある。ジェネリックメーカーの不祥事が相次ぐなかで、後発品に対するイメージや不信感が広まっている。こうした国民や医療従事者の不信感や不安を取り除くための活動や行動こそが、製薬業界やジェネリックへの信頼回復につながることは言うまでもない。その責任を果たすことこそトップメーカーに科せられた使命であり、今回の行政処分が放つ意味ではないだろうか。