2011年の終わりに
公開日時 2011/12/27 04:00
2011年は大震災を避けて語れない年だ。我々は被害に遭われたMさんから、有り難い言葉をいただいた。
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2011年が終わりに近づいてきた。今年は、東日本大震災の年として、長く記憶に残る年になるだろう。これまで、このコラムでは震災という言葉を使うことはあっても、直接それをテーマとするエピソードは控えてきた。
しかし、当然ながら、震災は、転職者の方々にも少なからず影響を与えていた。原発事故に不安を募らせ、西日本への転職希望をされる方もあったし、「細かいことに不満を持つのがバカバカしくなった。いまの自分は十分幸せ」と言って、転職を中止した方もあった。
一方、被災企業や、家族を亡くされた転職者の方もいらしたが、こちらはむしろ淡々と採用・転職活動を続けていたような印象がある。騒ぎ立てるようなことはなく、その時、自分に出来ることを懸命にやる、そんなケースが目立っていた。
Mさん(34歳)は被災地域の出身だったが、そのことを一度も我々に言うことなく今年の6月に転職をしていった。我々がそのことを知ったのは、半年後の在職確認のために人事に連絡をした時だ。
「彼、宮城の出身なんですよね。私たちも後から知ったのですが、いまでも週末は向こうに戻って、復興のボランティアを続けているそうです。出来るだけサポートしたいと思って、金曜の仕事は早めに切り上げてもらっているんですよ」
ちょうど同じタイミングで、Mさんから別の転職者の方を紹介していただいたこともあり、我々はMさんと直接話す機会を得た。
「Mさん、宮城にご実家があるとうかがいました。転職を始められた時は、いろいろ大変な時期だったでしょう?」
「私の家族は、遠縁のおじさんが亡くなった以外、みな無事でしたし、家も妻の実家が住めなくなったのですが、親族が経営するアパートに空き部屋があってすぐ入居できたので、避難している人もいなかったんです。そんな状況で被災者ヅラするのに抵抗があって…」
「そうでしたか」
「でも、いまから思うと、お話しすべきでした。先々週に実家にいった時、こんなことがあったんです。
両親と話し合って、うちの家はみな無事だったけれど、今年は年賀状は控えようかってことになったんです。周りは大変な家ばかりですからね。ところが、一緒にボランティアやっている友人にその話をしたら叱られました。
『そんなこと言っていたら、このあたりじゃ誰も年賀状も出せなくなる。うちは祖父母を亡くしたけれど、今年は喪中葉書じゃなく年賀状を送ろうって言っている。元気だって声をあげなきゃ。息災の家が遠慮して、亡くなった人がいる家が年賀状を出すんじゃ、アベコベだ』って」
「考えさせられますね」
「変な遠慮はいらなかったかもしれません」
「その後、状況はいかがですか?」
「お陰様でうちの家族はまあまあ、なんとかやっています」
それからMさんは思い出したように続けた。
「エージェントさん、震災後につくづく思ったことがあるのですが…」
「はい?」
「向こうには家族を失った人、財産を失った人、大変な人たちがたくさんいますが、仕事がある人は何とか前を向いて歩けているように私には思えるんです」
「なるほど」
「仕事も一緒に失ってしまった人は、どうにもきっかけが掴めない。どんどん生活が厳しくなってしまう…。私は良い会社に転職できた。だからこそ、今いろいろなことが考えられる。仕事というのは、日々を形づくるものなんだとしみじみ感じています」
「そう言っていただけると、嬉しいです」
「エージェントさんの仕事は、本当に大切なものです。命を救うのと同じくらいに」
「そんな…。そこまでは…」
しかし、Mさんは強い口調で言った。
「私の言ったこと、忘れないでください」
2011年は、誰もが無力感にさいなまれた年だった。そのなかで、その年の終わりにこんな言葉をいただけたのは、本当に有り難いことである。転職してもしなくても人生は続いていく。我々は働く人たちを支え続け、この年を来年に繋げていこう。
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