赴任してきた新所長から思いもかけない仕打ちを受けた
公開日時 2011/07/04 04:00
株式会社メディカルライン
榎戸 誠
個性的な新所長
赴任してきた、かなり個性的な新所長から思いもかけない仕打ちを受けたのは、忘れもしない、MR(医薬情報担当者)になって11年目の秋のことであった。K出張所の大学・基幹病院担当MRとして張り切って仕事に取り組んでいたある日、新旧所長の歓送迎会が開かれた。広い座敷の会席膳の前にはMRを初め全所員19名が居並んでいた。
思いもかけない挨拶
転勤していくM所長の別れの挨拶に続いて立ち上がったY新所長は、こう切り出した。「このたび、所長を拝命したYです。私は私のやり方で部下を管理していきます。前所長が高い評価をつけてきたMRについては私自身の目で再検討します。一方、これまでの評価がもう一つのMRも私の新しい目で見ていくので、このチャンスを生かすように」。そして、会食が始まり、新所長が所員一人ひとりに「よろしく!」と声をかけながら、ビールを注いで回ったのだが、何ということだろう、私と後輩のT君だけは飛ばされてしまったのだ。新所長は自らの態度で、所員全員に誰が再検討のターゲットかを示したのである。
支店長の覚えめでたく、全国で最も若い所長昇進ということで、新所長は意気軒昂な余り、先輩のM所長を軽視したのだろう。この異常な展開を目の当たりにして新所長の目を恐れたのか、歓送迎会だというのに誰もM所長の座席には近づかない。義憤を感じた私がM所長の前に座り込み、酌をしつつ、お世話になったお礼を述べたことに対し、「君の気持ちは嬉しいが、彼はああいう激しい気性だから、私のことは気にせず新所長の所に酌に行きなさい」と私の立場を気遣うM所長の眼鏡の奥には涙が滲んでいた。そう言われても、その会の最後まで、私はM所長の前から動かなかった。
支えてくれたコピー
翌日から地獄の日々が始まった。あらゆる面で私とT君に対するあからさまな
差別が始まった。基幹病院担当MRとして抜群の実績を上げていた薬剤師のT
君は、間もなく退職し、調剤薬局を開業した。現在は5県で36店舗を展開している。
私も何度、辞めようと思ったことか。そういう私を思い止まらせたのは、俵萠子の文章のコピーであった。大分以前に彼女が雑誌(多分、女性誌?)に寄稿した「職場のやりきれない人間関係――先輩や同僚、後輩に、どうしてもがまんのならない人がいるとき、私はいつもこう考えることにしていた」というタイトルの文章に慰められ、励まされて、踏み止まったのである。
その一部を紹介しよう――「サラリーマンにとって、何がしあわせといって、いい上役に恵まれ、よし、この人のためになら働いてやろうと、ほれて働けるときほどしあわせなことはない」、「私の13年間のOL生活を思い出してみても、会社へいくのがいやになったり、やめたいと思い暮らした時期は、たいてい“きらいな人物”が身辺にいたときであった」、「イヤな上役とは、台風のごときものである。その間はじっと耐えるほかない。大事なことは、このイヤな状態が永遠に続くとは思わないことだ」、「不愉快なやつは、必要なとき以外は、いないと思えばいいのである」(この文章のコピー<全文>をご希望の方は、榎戸宛てメール<m-enokido@medicalline.co.jp>にてご請求ください)。
ある日、突然
辛い日々が続いたが、俵萠子のコピーを心の支えにして、真剣に仕事に取り組んだ。いやむしろ、以前より一層、仕事に打ち込んだ。Y所長に難癖をつけられないように頑張ったと言ったほうがよいかもしれない。
歓送迎会から1年が経過したある日の夕刻、Y所長から近くの寿司屋に呼び出された。何事かと訝る私に、「君のことをじっくり観察したが、君はこの1年、仕事の手を抜かなかった。そこで、私と取り引きしないか。君はこれまでどおり実績を上げる、私は君の査定を元に戻す、ということで手を打たないか?」だと。この言い草に驚くやら、呆れるやら。
それから数カ月後、突然、Y所長の転勤が発表された。本人には不本意な部下なしポストへの異動であった。噂によれば、地元の重点卸の社長から本社の営業本部長にY所長のアフター・ファイヴの不行跡を問題視する電話が寄せられたという。