【解説】米国ヘルスケア改革法成立
公開日時 2010/03/26 04:05
2010年3 月23日、オバマ大統領は上院(2009年12月24日)にひきつづき下院(2010年3月22日)で可決されたヘルスケア改革法案に署名。ここに米国のヘルスケア改革が正式に法制化された。(メディカル・ジャーナリスト 西村由美子)
署名に先立つスピーチで、オバマ大統領は「今日!」と口調を強めて繰り返しつつ、「ほぼ一世紀にわたる努力と、一年有余の審議の後、数々の採決を経て、今日(遂に)アメリカ合衆国で、医療保険改革が法制化されます」と語り、さらに「今日、私がサインする法案は、アメリカ国民が、何世代にもわたってその獲得のために闘い、努力を重ね、成立を待ち望んできた法案です」と語っている。
実際、米国における医療保険改革は、ルーズベルト大統領以来、歴代民主党大統領によって取り組まれながら、ほぼ一世紀の長きにわたって成立かなわなかった改革である。これを成立させたオバマ大統領は、1935年にソーシャル・セキュリティ法を成立させたルーズベルト、1965年にメディケア法を成立させたジョンソン大統領に並ぶ、大型社会保障法を実現した大統領となった。
オバマ大統領は就任以来昨年末までの1年間、議会での民主党安定多数を背景に、上下両院ともほぼ民主党単独での強行採決によって、ヘルスケア改革を推し進め、昨秋(11月7日)下院案が僅差(220対215)で成立するや、上院では休日返上で審議を強行、記録的な連続審議の後に12月24日最低票数を確保して60対39で上院案を成立させた。
ところが年明け1月の補欠選挙で、民主党は故ロバート・ケネディ議員の永年の牙城マサチューセッツの議席を失い、同時に上院での安定多数を失う。結果、この敗北でヘルスケア改革の議論は失速する。
オバマ大統領は失速した審議を立て直し、さらにスピードアップすべく、ホワイハウスに超党派のオピニオンリーダーを招聘。議会での審議に直接口をはさむことはできない立場ながら、あらためて自ら法案成立の必要性と重要性を各界のリーダーに説得。この会議はライブでテレビ中継され一部始終が国民に公開された。その後も、オバマ大統領は下院での審議と採決を見届けるため、アジア諸国歴訪の予定を自ら訪問先の首脳陣に謝罪の電話をかけて延期。さらに、下院での採決を前に「法案成立のタイミングを逸しないよう、下院は独自の修正案を付与せず上院案をそのまま採択するよう」説得する。結果、下院は3月22日に修正なしの上院案を必要票数(216)をわずかに上回る219対212で採択。ヘルスケア改革法案を成立させた。
◎大統領がリーダーシップを発揮 しかし改革は前途多難
それにしても、ここまでスピーディにことが運ぶとはおそらく大統領陣営も予想しなかったのではないだろうか。実際、最後まで共和党からの支持が得られなかったこと、世論も賛否が大きく分かれていること、などを考え合わせれば、財政的に失敗する可能性も含め、なかなか勇気のいる決断であったはずで、まさにオバマ大統領のリーダーシップの賜物である。
しかし、本格的な実施は4年後からとはいえ、全国民に医療保険を持つことを「義務づける」法案は今後もなお議論をよぶことは間違いない。しかも4年の間には、中間選挙ならびに次の大統領選挙も控えている。が、無事に成立すれば、米国民は、もはや既往症で保険加入を拒否されることはなく、生涯保証総額に上限を設けられることもなく、子どもは必要に応じ26歳まで親の保険に継続的に加入でき(現在は21歳未満まで)、メディケアの医薬品給付の不足は一定程度まで保証されるようになるなど、順次拡大される保障枠によって徐々に無保険状態を脱することができるとされる。
だが、実はヘルスケア改革の議論も審議もまだ終わっていないのである。3月22日下院での最終採決の日に、下院の議場を取り巻いた「改革法案反対」運動を続ける多数の市民の存在はもとより、採決の日に同時に下院が可決(220対 211)した上院案への「修正案」(上院案の採択直後の採決により可決)に関する上院での審議が残されており、あるいは法案成立と同時に、ヘルスケア改革法の自州への適用を拒む権利を主張して訴訟を起こすと宣言した14の州の存在もありと、改革の前途は多難である。