7年前、理想の転職先を見つけたHさんは、今また、転職に動こうとしていた。その理由は…。

＿＿

7年前、Hさん（36歳）は理想の会社A社に転職できたことを喜んでいた。

Hさんが以前勤務していたのは大手石油B社。Hさんにとってそこは因習と派閥争いの怨念うずまく、息苦しい世界だった。転職でHさんが最優先にしたのが「タブーのない自由な会社」であったのは、その反動といっていいだろう。

Hさんが応募したA社は、ネットベンチャーとして旗揚げをし、魅力的な若手社長のもと総合情報サービス会社へと成長、転職市場でも注目の的になっていた。A社が特に人気があった理由は、定着率の高さにあった。
成長著しい会社のなかには、スタッフが過労気味であったり、実績に対する厳しい管理があったりするものだが、A社はスタッフへの負担がいきすぎないよう、細かく目を配っていたのだ。

A社に応募し、最終選考に残ることができたHさんは、採用担当者に社内を案内され、目を見張った。説明は受けていたものの、役員と入社したばかりの若いメンバーが肩を並べて自由闊達に議論する光景は、Hさんには衝撃的であった。

Hさんがそれまで働いていたB社では、役付でないメンバーが話をすることが出来るのは、主任・係長の職位までと決められていた。そこから上の課長・副課長には、話しかけることもメールをすることも許されていなかった。
会議も同様で、主任会議で発言できるのは主任のみ。主任が出張中でメンバーが代理出席している場合でも、黙って聞いていることしか出来ないのである。どうしても発言したい場合は、事前に申請書類を提出するのだが、その際は社内派閥に配慮して、必ず相手派閥のメンバーも一人発言をするよう調整をしなければならなかった。

一方のA社は、社長が当時まだ30代、役員含め若い社員が多いこともあって、そうした決まりは皆無。部署内の上下関係は当然あるが、社内横断的なプロジェクトがいくつも走っていて、そのなかでは主任クラスがプロマネ・役員がメンバー、主任が役員に指示を出すということも珍しくない、そんな社風だった。

「これこそ理想の会社」

Hさんは面接を受けるごとに、A社への思いを強くしていき、内定をもらった時は本当に嬉しそうにしていた。実際、入ってからの5年、Hさんはいくつもの企画を成功させ、のびのび仕事を楽しんでいた。

ある種の閉塞感を感じるようになったのは、昨年のこと。A社は成長の踊り場で業績は足踏み状態だったが、いまも変わらずスタッフを大切に、自由な風土を保つ努力を惜しまない、定着率の高い会社である。
だが、問題はそこにあった。

トップの社長は40代なかば、まだまだ働き盛りといっていい。創業初期のメンバーもほとんどが残っていて、彼らも社長とほぼ同世代だ。Hさんが入社してから辞めた役員は一人しかいない。
Hさんから見て、社長と彼を取り囲む役員は、皆、尊敬できる実力のある人達だ。なかにはクセのある人もいるが、それもご愛敬。仕事となればそれぞれに得意分野があり、力を発揮して会社に貢献している。

おそらく、彼らが辞める可能性はほとんどないだろう。関連会社の設立・海外支社などでポストが増える可能性はあるが、今後も最低10年間、へたをすれば20年以上、彼らがA社（グループ）の中核幹部であり続けるはずだ。そこに食い込んでいける余地は、ほぼないに等しい。
職位にこだわらない風土はあるものの、個々の人間のあいだにつくられた序列意識は変わりようがない。Hさんは35歳を迎えた時、こう思わざるを得なかった。

「この会社にいる限り、経営に関わることは諦めざるを得ない。経営を目指すなら転職するしかない」

「A社は今でも大好きな会社ですし、上の人たちから学ぶところも多くあります。数年前までは、定年までこの会社にいたいと思っていました。けれど、自分のキャリアを真剣に考えると、転職を意識しないわけにはいかないんです」
Hさんは我々にそう語り、急ぐつもりはないが、良い会社があれば応募していくと決意を語った。

若い人には、若い社長が率いる会社は魅力的に映るだろう。しかし、社長が若いということは、彼が現役でいる時間も長いということ。Hさんのような決断を迫られることも、あり得る話なのだ。