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東日本大震災の被災地現地リポート 医師による被災地現地リポート 第1弾

公開日時 2011/03/28 04:00

【医師による被災地現地リポート】(2011年3月25日公開分)

 

 

 

◎3月19日~22日まで宮城県仙台市郊外 若林区近くの中小病院にて支援。内科当直 日直業務 リハビリ室からの臨時病棟診療に携わる。時間外の患者数は予想以上に少ない。救急患者のトリアージは黒タグ(溺死多数)と緑タグが多く阪神震災であったような赤タグの患者さんの数が少ない。急患の多くは低体温・感染症・外傷。薬や点滴注射の不足が深刻。医師より薬剤師支援が望まれる。支援 の中心はおそらく避難所に移るも避難所自体は長く続けない方が健康によい。半年から1年位必要でないか。(一般内科)

 

 

◎地震発生時偶然仙台の病院に出張中であったため診療に協力した。沿岸部からは距離があり津波の被災者は運ばれなかったが転落や外傷等の初期治療にあたった。情報が乏しく混乱は大変なものであった。 (一般外科,消化器外科)

 

 

◎石巻に手伝いに行ってきました。 現地では食料はもとより、医療物資も不足しており、満足な医療ができませんでした。 今回のような大災害ではトリアージの赤が限りなく黒に近く、黒or緑といった感じです。(放射線科)

 

 

◎県北の病院が壊滅的被害を受けたために入院ができなくなった患者さまを引き受けています。 後方支援ぐらいしかできないのが現状です。困っていることは、 ご家族と会えませんので、急変時のICなどの説明ができていません。 また、電話での連絡もうまくできないので、災害時伝言ダイヤルを使用しています。 (リハビリテーション科,整形外科・スポーツ医学)

 

 

◎回復期病棟の主治医をしております。震災直後、患者を安全な1階リハビリ室へ、全員搬送し、ナース・リハスタッフを交代勤務とし、一元管理した。環境を整える余裕はなかったが、転倒の危険性は減り、一周目ごろからはリハビリも可能となり、何とか病院機能を維持できました。劣悪な環境の病院から、患者を引き受けられる余裕もできつつあります。しかし、依然断水のままであり、食材不足の状況は続き、まだまだ“通常営業”とは行かないようです。(一般内科,リハビリテーション科,他)

 

 

◎私自身、被災者でもあります。地震で停電(2日間休診)や断水(約5日間トイレ使用不能&消毒は市販のもの使用)で診療に従事しました。患者さんも来院に苦労されるので人数は少なかったものの、薬を切らすわけにはいかない人には感謝されました。現在は電気や水は復旧したものの、 放射線による被曝を最小限にすべくマスクや服装他、飲料水等に気を使う毎日です。鉄道も約50%の間引き運転、もしくは液状化現象で復旧の見通しなしの状態なので車が重要な移動手段です。が、給油が大変で、営業しているガソリンスタンドが約20%位でしかも並ばないと給油できません。知人は先週、並んでいたにもかかわらず2か所共、途中でガソリンが無くなって給油できなかった経験をしています。出来ることから着実にやるしかない!この頃です。(眼科)

 

 

◎現在は帰京しましたが、14日・15日の釜石市では電気、水道、電話、携帯など復旧の見込みもなく、救急車も連絡手段が無く 突然搬送されて来るのを待つ状況でした。検査は単純レントゲンと採血がなんとか使えますが、 CTなどは当然動いていませんでした。野戦病院というより生き地獄でした。 (一般内科,総合診療,他)

 

 

◎19日昼出発22日早朝帰着の超過密スケジュールで県医師会主導の医療ボランティアに参加させていただき、宮城県での死体検案書作製の仕事に携わってきました。涙なしではとても出来る作業ではありませんでした。現地の状況はテレビ報道や新聞記事の比ではありません。悲惨そのものでとても言葉で言い表せるものではありません。死因はほとんど溺水による窒息で、被害は地震の揺れよりも津波によるものが多かったようです。従って生きるか死ぬかの二者択一で、崩壊したがれきの中から救出される場面は少なかったようです。自衛隊員の方や警察の方が黙々とてきぱきと任務をされている姿に心打たれました。小生の医院に設けた義援金箱には短期間にたくさんの患者さんからのご厚志をいただきました。今後もいろいろな形で復興支援に携わっていく所存です。 (一般内科,総合診療,他)

 

 

◎小児を診ることがない医師(救急・整形外科・外科医)が多く駆り出されたが、親を亡くして立ち尽くす子へどのように接したらいいか分からない、PTSDに関してアドバイスができない。発達が正常かどうか判別できない、など成人の治療は可能だが、小児は後回し、小児の対処は分からないということが多かったようだ。小児に対する「心のケア」「治療」ができるスタッフを同行させた方がよい。 (小児科)

 

 

◎DMATとして発生直後に被災地に行ったが,今回の災害は津波によるものが主で,被災者は生きているか死んでいるかの2択で,生きている人は軽症か無傷がほとんどであった.おそらくDMAT活動の見直しが図られるのではないだろうか.災害には医療従事者の派遣はもちろん重要だが,それだけでは如何ともしがたくインフラの復興などの方が重要であり無力感を感じた次第であった(その他)

 

 

◎宮城県のクリニックで診療中の地震でした。ドアを開けて、スタッフに大きいよ、と声かけるのが精いっぱいで・・あとは揺れにまかせるだけ。動くことはできませんでした。 治まってきても余震が強く、患者さん、スタッフの無事と、危険な機材の異常がないことを見極めたら、支障なく休診に移行し、患者さんとスタッフを帰すことを考えました。停電とともに電子カルテは無停電電源装置に切り替わり、アラームがなり始めていましたので、決めてあったマニュアルに従い(これがとても再開時に役立ちました)データ損傷なく電源を落とせました。 大惨事の被災地では命にかかわる、医療が必要ですが、いざというときの(殊にカルテはじめ機器の)マニュアルを簡略化しておくことが必要だと感じました。 地震から約10日後の内服切れ、避難所生活、被災地から避難してきて具合が悪くなってしまった患者さんの診療に追われてます。大被害の場所ではありませんが、後方支援に徹してます。 (一般内科,代謝・内分泌科,他)

 

 

◎東北地方ほどの被災地ではありませんが、茨城にある当院も病院にヒビが入り、一時的に患者さんを病院隣の体育館に避難させました。病態の軽い患者さんは退院させ、比較的新しい病棟に患者さんを収容しました。体育館から患者さんの移動は停電のなか、全職員で階段を利用して行われました。ベッドがたりず、会議室に布団をひいて病棟として利用しないと行けない状況でした。震災から1週間は朝夕出席可能な職員で対策会議を開き、乗り切った状況でした。現在は病院そのものの耐震性に問題はないとの診断結果を得、閉鎖した病棟を順次オープンしている最中です。手術室の滅菌機器が使えず、滅菌は外注と他病院の協力を得ながら行っている状態ですが手術を再開しました。もう少し落ち着けば福島県からの患者さんも引き受け可能になると思います。震災後1週間当院の透析室は福島や近隣透析病院から多いときには1日100名もの患者さんを引き受けていました。 (消化器外科,呼吸器外科)

 

 

◎気仙沼市で4日間活動しました。医療チームはそれなりの数が集まっていました。 巡回診療を中心に行いましたが、重症な患者さんは皆無で、慢性疾患の通常薬が ないという訴えや、トイレ、水分の問題から便秘が多くみられました。 また、コンタクトや皮膚の軟膏などの需要も高かったです。 一番の問題は情報統制で、電話通じず、ガソリンなくどこで医療が受けられるかわからない、などが一番多く聞かれました。 日々、各方面のがんばりで、道路他ライフラインが徐々に復旧しています。 外傷患者さんが多いかなと思って現地に入りましたが、実際は異なっていました。 今後も機会があれば、再度気仙沼に行こうと思っています。(脳神経外科)

 

 

◎DMATで出動しました。 空港で中等症患者の診療に当たりましたが、診療中も地震があったりして、被害にあっていない私たちでさえ、トラウマになりそうな状況でした。 地震発生後数日経ってから救助された泥まみれの患者さんを診療した時は、本当に日本で起きていることなのかと信じられませんでした。 移動もままならない時期から、全国各地からDMAT、救護隊、消防などが現地入りし、活動しているのをみると、日本も捨てたもんではないなあと感動しました。 まだまだこれからが大変ですが、日本人として共にこの状況を乗り越えていければと思います。 私たちも今度は救護隊として再度出動すると思います。 (一般内科,総合診療,他)


 

 

 

 

 

 

 

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